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建大工房BLG
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our adventure goes on.
久々にブログ更新。

今度発刊の福井のクリエイターズガイドブック「CRU」にFLATを紹介するための撮影。
あらためて、最高のメンバーやな~と思う。

いつでもそれぞれが才能を活かしていろんな場面で問題を解決してきた。
本当はもっとたくさんの人が関わってて、いつもみんなに助けてもらってるんやけど。

そしてまだまだ問題も山積みでこれからも悩んでいくと思うけど。

遠回りしながらゆっくりやけど、確実に最初に漠然と思ってた方向には進んでると思う。

そしていつも変わらずこの場所にいて守り続けてくれる藤原店長、チヒロ、
ありがとう。

個性的で自由な空間だからこそ、そのニオイを嗅ぎ分けて門を叩いた人達は自分を表現できたり、他では見せない意外な一面が見えたり。

自分を解放できる空間。

社会で生きていくには、
そういう場所が一つでもあればいいと思う。
そこには共に共感できる人がきっといる。

「FLAT」という場所がそうなるんじゃなくて、FLATみたいな所を通じて自分の居場所や空気を個々で作ればいいんだと思う。

「渦巻きを創れる人を作る」

最初にFLATを立ち上げる時に作ったコンセプト。
ちょっとずつ渦巻きが派生していってるように見えてきた。

でもまだまだこのメンバーで面白いことやっていけたらいいな~。

our adventure goes on.

なんだかワンピースみたいな感じ。
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株式會社 建大工房
デミズケンダイ
渦巻きをつくれる人をつくる [Flat]
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by kendaikoubou | 2013-09-16 02:28
幸福度日本一の福井県に住む僕が原発について思うこと。
今、日本で原発の再稼動に対して本当に反対するという事がそんな安易な事じゃないような気がする。
特にこの福井で。

福井県民は何故、声を上げて原発反対を訴えないのか。
っていろんなとこで言われます。

国の政策によって甘い汁を散々吸わせられ、
麻薬中毒にされたかのような、原発銀座の住人。
ほんの先日、幸福度日本一と言われて日本中から羨ましがられてるはずの福井県民。

日本の原発が無くなったら、上のお役人ばかりではなく原発銀座の住人たちも何千人と路頭に迷うことになります。
なんの罪もない住民たちは、産業を捨て、今まで、国から与えられた
麻薬の中毒にされていて、いきなりそれを絶つことができるでしょうか?

世間では絶対反対の声が圧倒的に多いですし、
もちろん僕も再稼動に対して賛成という訳ではありません。

もしかしたら手放しに絶対反対と思えないのは、福島の惨状を目の当たりにしてないからかも知れません。

ただ、誰もが気付いてはいる事だと思いますが、今の総理や、福井県知事を見てても、
今後の日本に責任持つような大それた決断を下せるほどの人には見えません。
先日、お会いした細野環境大臣にしても。。。
今、役所に乗り込んだとこで、どれだけの人にその権限があるのか。。。
ほとんどが意志薄弱であやつり人形のようなあの人達の権限でこの日本を変えれるとは僕は思いません。

いくら名義上、国や自治体のトップだとは言え、それを動かしている人達が他にいるってことも一般の人でも薄々感じてる事。

4年前の政権が交代する総選挙の時、福井の大きな土木会社のお偉いさんが
「誰が福井を動かしてると思うの?まだまだみんな福井で普通に生活したかったら民主党に変わる訳がない」
って笑いながら言ってたのを思い出します。
案の定、日本中が圧倒的に民主の風が吹き荒れる中、福井だけは自民の勝利。

結局は今の日本がそういう体制の国だって事。
名ばかりのトップをデモや選挙でいくら変えたって、その裏に渦巻く「力」
はなかなか変えれないんじゃないでしょうか。

抗議活動やデモを起こす事が無駄だとは思いません。
少なくともその気持ちは世界中に広がるし、そのことでも何かは変わると思う。
みんなで手を繋げばここまで大きな事もできるんだとも実感しましたし。
ただその活動にさえエネルギーを使っている事も事実。

僕が思うこれから先の意識改革に必要なことは、原発よりも化石燃料よりも、もっと潜在的に眠っているのは日本人としてのエネルギーなんじゃないかな。

常に新しいもの、便利なものに敏感な国民性が世界を引っ張った時もあったかも知れません。そして、今の日本がどれだけ物質的に恵まれていて、平和な国か。

でも今、僕らが直面して知らなければいけないのは、
今のこの便利な生活が、これまで原発を推進し、地元の産業や農業を捨てさせたこの国の上に成り立っているといるという事。

本当はそんなに立派な家に住まなくても、そんなに高い車に乗らなくても、
そんなに毎日美味しくて安全な食べ物ばかり食べなくても、
日本人より幸せそうに暮らしている人が世界中にはたくさんいるという事。

情報に流されない、自分の価値観をしっかり持って、本当の幸福度日本一の県になるチャンスが今、これからなんじゃないかな。

僕らの子供が大きくなるなんて、あっと言う間。
その後の社会のことを考えて、それまでに自分の持つエネルギーをどう使うのか。
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渦巻きをつくれる人をつくる [Flat]
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by kendaikoubou | 2012-06-23 18:17
これからの未来を担うということ。
最近は仕事のことで頭が一杯でいろんな場に行ってもあまり自分の中に入ってくることはない日々をしばらく送ってまして。

そんでちょっと仕事もひと段落し、精神的にも余裕が出来た中での今日。
いろんな事を思う一日でした。
忘れないように書き留めておこうと思い。

ちょっと大袈裟に言えば、
これからの未来への架け橋のような一日。

まず最初は「北陸No1ブロガー」のたつやさん主催の「マルシェワンダーランド」。
これがビックリするくらい楽しくて、素晴らしかった!!
ホント段取りとか大変だったんだろうと思います。
ヤル気さえあればこんな大きな事ができるんだな~と、ただただ感心する、いろんな意味で大きな大きなイベントでした。

時間もなくて駆け足で見て回ったのですが、微妙な天気にも関わらず、オープン直後から予想を遥かに上回る入場者数。
そして何よりも福井の作家さんやアーティスト達、全員集合くらいの出展者達。
みんな個性的で面白い人ばっかりで。
会場の作りもワクワクするように所狭しといろんなアイテムがあって。
ホント普段から地道な活動を続けてるたつやさんの力ありきの事だな~と。
これぞ福井サイズ、地元サイズのイベントでみんなが楽しめる、本当の意味での地域活性化やと思います。
多分、行政主導ではこうはならないんでしょう。

問題はこれをどうやって持続させるか。
もうたつやさん世代に頼っている場合でもないですよね。
手本を見せてもらった僕らが引き継いでいかないと。。。
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そして夕方は県議の鈴木こうじさんと市議の中村綾菜さんの結婚披露宴への参加。
さすが議員カップル、親戚や友人たちの一次披露宴を終えての二部なのに300人を超える、そしてほぼ議員さんや福井の政財界の人達ばかり。今、渦中の細野イケメン環境大臣も。
そんな中に何故、僕らが呼ばれたのか。。。

そこでの会話も自然とこれからの福井や日本のこと。

「世代交代」

今直面するいろんな問題も本当はもうとっくに僕ら世代が牽引していかないといけない時期。そんなことをひしひしと感じる会話でした。

今、みんなが変わりたくてウズウズしてるんだと思う。
「自分に何ができる?」みたいな。

最近はまちづくりの活動なんかにもちょこちょこ顔出しますが、いつもそこで引っかかるのは、みんな思っているけど実践にまでは至らないって事。もちろん僕も含めて。
たつやさんのように率先して手を上げて、その一歩を踏み出す事は相当勇気のいることでもあるけど、やっぱり今自分の置かれてる環境にそこまで危機感を感じてないんじゃないかと。
この先の未来を想像して、今、自分がどう生きるか。
それをしっかりと考えないと、このままだとこの激流のような時代の流れに呑まれたまま一瞬で終わってしまうような気がする。

そして今日最後は奥さんの待つ病室へ。
3日後、恥ずかしながらこの年で父親になります。
次の世代の子供達が幸せな未来を歩いていけるように、幸せな結婚ができるように、
たった今からできる事はまだまだたくさんあるんだな、と。

明日からFLATの3階の工事を再開させます。
僕に出来ることは場所を作り続けること。
また皆様の手を借りると思います。
そこでまた新しい渦が巻いていけるように。


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by kendaikoubou | 2012-06-11 00:47
craftmanship
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森のアートフェスタ@金津創作の森
ホント毎年楽しみにしてるイベント。

このイベントに行くと自分の中のcraftmanshipが騒ぐ。
いつか中からこのイベントに参加したい。

しかしここにある國安孝昌さんの「森の竜神」はいつみてもため息がでる。
いつかこんなカッコいいものを作れる人になりたい。

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by kendaikoubou | 2012-05-13 21:58
まちづくりについて考える、を考える。
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久々に一気に読んだな~。
「ソーシャルデザイン グリーンズ編」
面白かった。
スピード違反の罰金を、速度を守った人達に分配するスウェーデンのシステムとか日本にも取り入れられないものかね。

山崎亮さんの「コミュニティーデザイン」もそうやけど、こういう本こそまちづくりに携わってる行政の人とか読んでいるのだろうか?

最近は、「まちづくり」っていう言葉すらも聞き飽きたというか、それに関わるビジネスも流行みたいになってきてる感じ。もちろん地域にとってはまだまだいいことなんでしょうけど。

ただ根本的に、なんのためにまちを盛り上げるかがいまいちみんなバラバラなような気がする。

宗教も価値観もバラバラでこれだけ情報過多な日本で、
本当に今自分が住みたい場所がどこなのか?
まずそれをちゃんと考えないといけない時代のように思える。

生まれ育ったまちだから、そこを守らなきゃって事よりも、自分の生き方をちゃんと見据えて、自分がどう生きたいかを決めて、住む場所や家を選ぶっていう考え方でもいいと思う。

元々そこに住んでる人達だけじゃ、自分のまちを守るってのも難しい世の中だと思うし。

ちょっと極端な話で言うと、今の日本はみんな1回ぐちゃぐちゃに住む場所を変えちゃって、住みたい場所に住んで、残るまちは残るし誰も選ばないまちは排除するって方が、これからの日本にとっていい気がする。
そしたら原発で働きたい人は高い給料もらってそこに住めば良いし、いやな人は離れて暮らせば良い。
伝統を守りたい若者がいないなら、外から連れてくればよい。
世界中探してもいないなら、その伝統はもういらないものって事になるから。

なーんてむちゃくちゃな話になってますが、
そもそも、まちづくりって、何だか「地域活性化」みたいに捉えているけど、実際、地域を活性化しようと思うならそこに住む人達が活性化しないとダメなのに、そこに家や会社があるから仕方なく住んでる人達が多い気がする。それでは根本的に活性化はしないんじゃないかな。

汝の隣人を愛す。

そこが根っこかと。
一緒に住む人や周りのコミュニティーを愛せなかったら、まちづくりなんてできないと思う。
もし今の環境に違和感を感じるのであれば自分にあったコミュニティーを探すか、作ればよい。それが日本だろうと海外だろうと。

みんなが自分のルーツを探るジプシーみたいになっていったら、いつかは気に入る場所が見つかると思うけど。散々探して、やっぱり生まれた場所に戻ってくるってのもアリだし。
それでも愛する場所を見つけた事になる。

そこに愛があればイヤでも活性化はするし、みんなが楽しめると思う。

とか言ってると今の日本からみんな出ていきそう。。。

あ、山崎亮さんの新刊でるんだ、「まちの幸福論」



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by kendaikoubou | 2012-05-11 01:52
この世界で生きるという事
長らくブログ書いてなかったな~。

そして本日、2011年11月11日に入籍いたします。
ついにワタクシもやっと社会の仲間入りすることになりました。

一人で生きるのは気楽だけど、寂しい。
一人で感じれる幸せには限界がある。

本能のまま自然の中で生きるだけなら、
書類にハンコを押して契約するなんて必要ないと思ってた。

でもこの人間に作られた規則の中で生きるために、
物の価値をお金で計る人間社会から逃げる事はできない。

だからこの世界でちゃんと生きてみようと思う。

この世界での「幸せ」というモノを手に入れるために。
社会に沿って生きてみよう。

大切な誰かの為に生きるという事。
幸せを共有するという事。
自分の血を受け継ぐ子を持つと言う事。

まだまだいろんな知らない世界が待っていると思う。

どこまで行けるか分からないけど、
行けるとこまで行ってみよう。

そしていつか帰ってこよう。
愛する人と共に。


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by kendaikoubou | 2011-11-11 10:44
いつも心に縁側を
「今回はご縁がなかったということで」

大抵の人の過ちや過ぎた事はこの言葉一つで解決できるんじゃないかなと。
それはもしかしたら、人の死さえも。

言葉を置き換えると「宿命」とか「カルマ」ってことになる。
点と点をつないで線にするって言うけど、
その「繋ぐ」ものってのが「縁」だと思う。

今回のFLAT PRESSのテーマは「縁(えん)」。
そしてそのまま読み換えると「縁(ふち)」
崖っぷちとかの、ふち。
アウトラインとか境い目とか輪郭とかって意味かな?


今は科学や文明が進歩して、何でも目で確かめようとしたり、証明しようとする。
そして人はそこに名前を付け、区別したり所有したがる。
国、人種、思想や宗教などなど。

人間の感覚が鈍れば鈍るほど、物事の輪郭を言葉や目で判断しようとする。
「ふち」を目で確かめる事で安心感を得る。
人との違いを個性と呼ぶように、他との違いを見ることで
自分の輪郭を形成しようとする。
そしてそこに存在意義を見出す。

実際にはそんな事はどうでもいいはずなのに。
もともとそんなものは必要なかったのに。

地球を見たってどこにも国境なんてないのに。

地球と宇宙との境い目もどこかなんて分からないはずなのに。

輪郭としての「ふち」を見ることで確かめる。
人が勝手に作り上げたものを奪い合う。
その「ふち」を確認し合うために争いが起きる。。。


話は少し変わって、
今の日本で、老若男女がナチュラルにコミュニケーションを取る場所が少ない。

地域のお祭りや、公民館や町内の寄り合いなど、昔は自然にそういう文化があった。
今は交際相手を探すのもお見合いパーティーであったり、若しくはネット。
人と人が繋がりを確認できる場所がどんどんネットの中に移行してるのかな。
もちろん縁を繋ぐ手段としてネットを利用するのは今の時代、むしろ欠かせないものだと思う。

ただその先のコミュニケーションツールにまでいくと、やはりリアルと比べて物足りない。

点と点を繋ぐ場所。。。


ある程度広い土地にある農家には今でも「縁側(えんがわ)」がある。

縁側ではそこの家族はもちろん、近所の人とも気安くコミュニケーションがとれる。
縁側の意味を建築的に説明しているので良く見かけるのは、
室内と屋外との中間の場所、外と中とを繋ぐ曖昧な空間。

良いか悪いかは別にして、そこの日常を垣間見れる場所。

僕は農家で育った訳ではないから家にそんな大した縁側はなかったけど、
イメージではやはり近所の人が勝手に出入りしてたり。
プライベートは無いかも知れないけど、人のぬくもりも感じれる場所。
家と家を繋ぐ場所なのかも。

家の壁を取っ払った、輪郭、境い目を無くす曖昧な空間。。。

曖昧さってのは、点と点を繋ぐのに必要なものだと思う。

全ての物事を物質的な輪郭にとらわれずに本質だけ感じる事ができるようにならないといけない。
そして自分のあるべき姿も、その「縁(ふち)」を取り払い、
曖昧さを持って「縁(えん)」に繋げる。

いろんな色のインクの滴が水面に落ちて、お互いが混ざり合う様に。

自分を形成している輪郭を取り払えば、その周りには無数の縁に取り囲まれているんじゃないかな。
そしてそれはちょっと手を伸ばせば誰でも簡単に掴めるものだと思う。

全ての境い目が無くなればいい。
もともとは何ひとつ境い目なんてなかったんだから。

そして今、少なくとも日本はひとつになるべき時がきてると思う。

今、東北で起きていることは自分の中で起きてること。


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by kendaikoubou | 2011-03-21 20:50
リアル逃げ場
最近はパソコンやiPhoneを覗いていると、ネットの中では
facebookだtwitterだといろいろとまた世の中が動いてるように見える。
実際は日本では革命のような、何か「行動」として起きてる訳ではないのだけど。

ただいろんな分野でくすぶってたり、小さな産声を上げてるのは事実で、
そのうち大きな「動き」になるのかも知れませんね。

特にtwitterなんかを見てて思うのは情報の流れるスピードが速すぎる。
(ま、そもそもtwitterとはそういうもんやけど。。)

知ろうと思えば世界中の出来事を瞬時に知る事ができる。
膨大な情報量。

に伴って人間の情報収集欲もものすごい事になってる。

もはや人ではなく「情報」が時代を作ってるような気すらする。
もしかしたらいつの時代もそうなのかも知れないけど。

時代の流れが激流すぎてそれについていかないと置いてけぼりになってしまいそうな感も。

「時間」というものが相対的なものだとするなら「ネット時間」
というのもあると思う。もの凄く早く流れる。早熟な。
その中で一見、格差の様なものが生まれるんでしょうね。

激流のような「ネット時間」と生物としての本来のバイオリズムと間の
「ひずみ」が今、人間の精神に様々な影響を及ぼしてるのかも。

問題なのはその「ひずみ」。。


話しは少し飛んで、

本来、ものを作るという事は何かを壊すという事。

農業なんかの「育てる」世界では大した破壊行為はないかも知れませんが、
それを食べるという行為はイコール、破壊する事になる。(大袈裟か。。。)

基本、ものをつくるとは何か形あるものを意図的に変化させる事。

でもインターネットの中だけは別。
情報も、コミュニティーも無限に増え続ける。

人の逃げ場も。隠れ場も。

子供の頃、なにかイヤな事があったりしたら、ケンカしたり、
藪の中の秘密基地に引篭もったり、公園のトイレの屋根の上でイジけてたりしてた。
ちょっと大きくなったら社会への反発の為にグレてみたりも。
尾崎豊を聴きながら。

それにしても自分の中での「悪い事」の意識は少なからずあったし、
逃げてる自分とも常に向き合ってた。
それに呼応するかのようにどこにいても見つけてくれる、親や社会の姿があったと思う。

多分見つけて欲しいんだ。
逃げ場に迎えに来て欲しかったんだと思う。
(今でもそれは変わってないかもね。)
twitterでつぶやき続けるのもそんな叫びみたいなものだろうし。
後、ネットの中で叫び続けるのはなんだか卑怯な気がする。
心の叫びをメディアに流してる、的な。

今、ネットの中に逃げ込んだらなかなか見つけられない。
逃げてる感もあまりない。共感してくれる人も見つけやすいし。

むしろそっちの社会の方が現実より楽しいんじゃないかとすら思う。
その世界だけで生きる事を選ぶことすらできる時代。

壊すことなくただ作られていく社会なんてホントはありえないと思う。

だからその「ひずみ」のようなものはどこかにしわ寄せとして来るような気がする。

バブルがはじけるように。。。どこかで何かが「壊れる」ような。

で今「癒し」的な商売も盛んなんでしょうね。


ながーい前振りになりましたが、今回の僕の言いたい事。

「リアル逃げ場商売」

今後はそんな商売が必要なんじゃないかと。
(っていうか、とっくにあるよって方、いるとは思いますが)

いろんな意味での逃げ場はあると思うけど、肝心なのはちゃんと自覚してる必要があるということ。

そしてちゃんと見つけてくれる人がいるという事。

例えるなら会社の帰りの屋台のおでん屋さんみたいな。
飲んだくれてグチってるとこを奥さんが「もういい加減帰ってきなさい」
なんつって。

お母さんに怒られて勢いよく飛び出していって、とりあえず登る公園の便所の屋根。

彼女とケンカして一人、車を走らせていく夜の海だったり。

そんな逃げ場を人は持っとくべきだと思う。

ちゃんとお互いが同じ速さで感じれる「時間」の中での逃げ場。

あ、商売とか言っときながら具体的な案は何もないですが。。。

でもFLAT kitchenはそんなリアル逃げ場でありたい。


同じ空間にいなくても、同じ時間の流れを感じれる仲間を見つける事が大切なのかも。

ネットはそれを見つける手段で止めとく事が理想なのかな。

てな事をネット上のブログで書いてる、オレ。

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by kendaikoubou | 2011-03-08 21:47
一つ一つ”間”を埋めていけば全ては繋がるものとして。
前にちょこっと書いたけど、

「多分その昔、全てが繋がっていた頃は”デザイン”なんて言葉はいらなかったんだと思う。

人間の精神と肉体と感情がバラバラになってきたから、

人間界にだけ”デザイン”という作業が必要になったんだ」

な~んて勝手にデザインについて語ってみたりもしてみました。

デザインに関わる仕事をしていて、よく、

「デザインってなんやねん?」
という話になる。
デザインとアートの違いとかも。

職業柄なんとなくは頭にあるけど、定義はみんないろいろ。
デザインは商業の為ってのもなんだか寂しいし。

僕の中で思うのは人が生まれてきた意味が自分を表現することとするなら

芸術家やアーティストと呼ばれる人達はそのまま表現できてる。

でもその人の魅力を感覚で解る人にはそのままでいいけど、
みんながみんなすぐ理解できる訳じゃない。

だから社会との間に入る何かが必要なんだ。

それを言葉で表すと
デザイナー、プロデューサー、キュレーター、オーガナイザー・・・
って事になるのかと。
どちらにしても表現者。


光がないと影はない。でもその二つだけでもない。
その間に入るものがあるから人は影という存在を通じて光の美しさを知る。
その影をどう魅力的に創りだすかがその間に入る人達の仕事じゃないのかな。

人間社会と人間の本能との矛盾を埋める存在が
デザイナーとかプロデューサーとかキュレーターとかいろんな言葉にかえられるんじゃないかな。

だからデザイナーは自分が作り出した「影」を見て欲しいんじゃない。
その向こうの「光」を見て欲しいんだ。


向き不向きとか持って生まれたものはあるかも知れないけど、
自分が「光」か「影を作る人」かどうかは
その場、その環境で考えればいいんだと思う。

時々ちょっと俯瞰してみて誰がその役割に一番当てはまるかを考える。

それで思うのが、

対立する何かとか、並行する何か、向かい合う、隣合う…。
全てのものに「間」がある。
原子や素粒子の間にも。

建築でもみんなが集まる場所は「居間」とか「茶の間」とか言うし。

交差点とか、中継点、通訳、ハブ化。
いろいろ言い方はあるけど。

「間」を意識したら全てが繋がるんじゃないかとすら思う。

やりたい事と、やらなきゃいけない事の間にも何かがある。

本能に従う事と、社会で生きる事の間にも。

間を見つめれば何かの答えがあるような気がする。



「光」として進み、表現し続けるか、

その光を体中に受けて社会に「投影」することで表現するか。

僕はどっちかって言ったら「間」に入りたいのかな。

光りたいんじゃなく。


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by kendaikoubou | 2011-01-17 23:47
社会で生きるということは本能と矛盾して生きるという事
その昔、人の世は「本能のまま生きてはいけない」と誰かが決めて
社会の中で「秩序」とか「倫理観」とかいうものを作りあげた。
だからそもそも社会で生きるという事は本能との矛盾でしかない。
政治や宗教なんかで人を統率しようとしたり。
「この社会ではこう生きるべき」と誰かが決める。
本当は誰もが生まれ持ったそれぞれの「生き方」ってのがあるのに。
だからみんな悩むんだ。

「英雄色を好む」じゃないけど、
僕が知ってる著名な表現者の中で過去、よくよく見たら色恋沙汰やスキャンダルは多い。
多分それも本能のまま生きるとこうなるって事。
全身全霊で表現するなら私生活で常識人を装ってる余裕なんか無かったんだと思う。
そんなアーティストも死んでしまえば後は作品だけがもてはやされ、
彼等の私生活に翻弄された人達のことなど遥か忘却の彼方。

結果そういう先人達が文化人と呼ばれるようになる。

今は個人がメディアを持つ時代で、俗に言う社会的な秩序を乱す「悪事」が
暴かれ易いんでしょうね。
政治や芸能とか、個性の潰し合いみたい。
もちろんそんな中でも秀でた文化人はまだまだ輩出されるのでしょうけど。

ただ、それを一般社会に当てはめると少々厄介だと思う。
「生き方」を見失いかけない。
特に今の大学生なんかと話していると、
何をしたいか?今をどう生きるか?
ではなく今の社会を考えた上で今をどう生きる「べき」か、
を考えてる人が多いように見える。
もちろんそれを勉強しに行ってるんやからそれも大切。

今の社会には合ってないからって、
でも自分の本能を無視はできない。

本能と社会との矛盾。

もっと引いた目で世界を見ることが大切なんやと思う。
今自分が生きる、知りうる社会なんて所詮、ちっぽけなもので、
そこで生きる事を考えても本当に自分の生きる道なんて見つけるのは難しい。
ましてや文化なんて作れる訳もない。

それくらいなら自分の本能に従うとどうなるか?
をまず考えてからそれと今の社会を照らし合わせる事を考える方が楽しい。

それが分からないって人がいるけど、それは社会に覆い隠されてるから。

「総理大臣になりたい」、「アイドルになりたい」とか
「あの国に住みたい、あの車が欲しい」、
「今あの子とエッチなことしたい」とか。

子供の頃はそんなこといくらでもあったはず。
夢も希望もみんな持ってたはず。

それでは儲からないからとか、
それを口に出すと社会から非難されると教わってきたから。
思わないようにしてきただけ。


物事には向き不向きというのがある。
経験をしてみないとそれは分からない。
ましてや、それが向いてるかどうかってのもなかなか分からない。

人はみんな「一生懸命生きてます」と言う。
でもその道で生きてる人とそうでない人とでは「一生懸命」の結果は違う。
でもその場その場では誰もがみんな一生懸命なんだ。
後は指導者側、捉える方の問題。

どうせ頑張るなら自分の才能が発揮できる場所で「一生懸命」働きたい。
本能のまま生きれる場所。自分が一番輝ける場所。

もし本能のまま生きることができるなら、
誰しもにその「場所」はあるはず。

それが生まれてきた意味だから。


人間が作り上げた秩序に縛られた社会で、本能を抑えながら生きるか、

表現者として本能剥き出しで社会に叩かれながら、何かを残して死んで行くか、

それとも矛盾を受け入れた上で、自分の生きたい社会を見つけ、どこまで表現できるかを常に考え続けながら生きるか…。

いろんな人がいればいい。

自分が生きてる社会や時間だけで考えても答えは出ないかも。

もっと遠くから俯瞰してちっぽけな世界、自分を見ないと。

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by kendaikoubou | 2011-01-03 20:34