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いつも心に縁側を
「今回はご縁がなかったということで」

大抵の人の過ちや過ぎた事はこの言葉一つで解決できるんじゃないかなと。
それはもしかしたら、人の死さえも。

言葉を置き換えると「宿命」とか「カルマ」ってことになる。
点と点をつないで線にするって言うけど、
その「繋ぐ」ものってのが「縁」だと思う。

今回のFLAT PRESSのテーマは「縁(えん)」。
そしてそのまま読み換えると「縁(ふち)」
崖っぷちとかの、ふち。
アウトラインとか境い目とか輪郭とかって意味かな?


今は科学や文明が進歩して、何でも目で確かめようとしたり、証明しようとする。
そして人はそこに名前を付け、区別したり所有したがる。
国、人種、思想や宗教などなど。

人間の感覚が鈍れば鈍るほど、物事の輪郭を言葉や目で判断しようとする。
「ふち」を目で確かめる事で安心感を得る。
人との違いを個性と呼ぶように、他との違いを見ることで
自分の輪郭を形成しようとする。
そしてそこに存在意義を見出す。

実際にはそんな事はどうでもいいはずなのに。
もともとそんなものは必要なかったのに。

地球を見たってどこにも国境なんてないのに。

地球と宇宙との境い目もどこかなんて分からないはずなのに。

輪郭としての「ふち」を見ることで確かめる。
人が勝手に作り上げたものを奪い合う。
その「ふち」を確認し合うために争いが起きる。。。


話は少し変わって、
今の日本で、老若男女がナチュラルにコミュニケーションを取る場所が少ない。

地域のお祭りや、公民館や町内の寄り合いなど、昔は自然にそういう文化があった。
今は交際相手を探すのもお見合いパーティーであったり、若しくはネット。
人と人が繋がりを確認できる場所がどんどんネットの中に移行してるのかな。
もちろん縁を繋ぐ手段としてネットを利用するのは今の時代、むしろ欠かせないものだと思う。

ただその先のコミュニケーションツールにまでいくと、やはりリアルと比べて物足りない。

点と点を繋ぐ場所。。。


ある程度広い土地にある農家には今でも「縁側(えんがわ)」がある。

縁側ではそこの家族はもちろん、近所の人とも気安くコミュニケーションがとれる。
縁側の意味を建築的に説明しているので良く見かけるのは、
室内と屋外との中間の場所、外と中とを繋ぐ曖昧な空間。

良いか悪いかは別にして、そこの日常を垣間見れる場所。

僕は農家で育った訳ではないから家にそんな大した縁側はなかったけど、
イメージではやはり近所の人が勝手に出入りしてたり。
プライベートは無いかも知れないけど、人のぬくもりも感じれる場所。
家と家を繋ぐ場所なのかも。

家の壁を取っ払った、輪郭、境い目を無くす曖昧な空間。。。

曖昧さってのは、点と点を繋ぐのに必要なものだと思う。

全ての物事を物質的な輪郭にとらわれずに本質だけ感じる事ができるようにならないといけない。
そして自分のあるべき姿も、その「縁(ふち)」を取り払い、
曖昧さを持って「縁(えん)」に繋げる。

いろんな色のインクの滴が水面に落ちて、お互いが混ざり合う様に。

自分を形成している輪郭を取り払えば、その周りには無数の縁に取り囲まれているんじゃないかな。
そしてそれはちょっと手を伸ばせば誰でも簡単に掴めるものだと思う。

全ての境い目が無くなればいい。
もともとは何ひとつ境い目なんてなかったんだから。

そして今、少なくとも日本はひとつになるべき時がきてると思う。

今、東北で起きていることは自分の中で起きてること。


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by kendaikoubou | 2011-03-21 20:50
リアル逃げ場
最近はパソコンやiPhoneを覗いていると、ネットの中では
facebookだtwitterだといろいろとまた世の中が動いてるように見える。
実際は日本では革命のような、何か「行動」として起きてる訳ではないのだけど。

ただいろんな分野でくすぶってたり、小さな産声を上げてるのは事実で、
そのうち大きな「動き」になるのかも知れませんね。

特にtwitterなんかを見てて思うのは情報の流れるスピードが速すぎる。
(ま、そもそもtwitterとはそういうもんやけど。。)

知ろうと思えば世界中の出来事を瞬時に知る事ができる。
膨大な情報量。

に伴って人間の情報収集欲もものすごい事になってる。

もはや人ではなく「情報」が時代を作ってるような気すらする。
もしかしたらいつの時代もそうなのかも知れないけど。

時代の流れが激流すぎてそれについていかないと置いてけぼりになってしまいそうな感も。

「時間」というものが相対的なものだとするなら「ネット時間」
というのもあると思う。もの凄く早く流れる。早熟な。
その中で一見、格差の様なものが生まれるんでしょうね。

激流のような「ネット時間」と生物としての本来のバイオリズムと間の
「ひずみ」が今、人間の精神に様々な影響を及ぼしてるのかも。

問題なのはその「ひずみ」。。


話しは少し飛んで、

本来、ものを作るという事は何かを壊すという事。

農業なんかの「育てる」世界では大した破壊行為はないかも知れませんが、
それを食べるという行為はイコール、破壊する事になる。(大袈裟か。。。)

基本、ものをつくるとは何か形あるものを意図的に変化させる事。

でもインターネットの中だけは別。
情報も、コミュニティーも無限に増え続ける。

人の逃げ場も。隠れ場も。

子供の頃、なにかイヤな事があったりしたら、ケンカしたり、
藪の中の秘密基地に引篭もったり、公園のトイレの屋根の上でイジけてたりしてた。
ちょっと大きくなったら社会への反発の為にグレてみたりも。
尾崎豊を聴きながら。

それにしても自分の中での「悪い事」の意識は少なからずあったし、
逃げてる自分とも常に向き合ってた。
それに呼応するかのようにどこにいても見つけてくれる、親や社会の姿があったと思う。

多分見つけて欲しいんだ。
逃げ場に迎えに来て欲しかったんだと思う。
(今でもそれは変わってないかもね。)
twitterでつぶやき続けるのもそんな叫びみたいなものだろうし。
後、ネットの中で叫び続けるのはなんだか卑怯な気がする。
心の叫びをメディアに流してる、的な。

今、ネットの中に逃げ込んだらなかなか見つけられない。
逃げてる感もあまりない。共感してくれる人も見つけやすいし。

むしろそっちの社会の方が現実より楽しいんじゃないかとすら思う。
その世界だけで生きる事を選ぶことすらできる時代。

壊すことなくただ作られていく社会なんてホントはありえないと思う。

だからその「ひずみ」のようなものはどこかにしわ寄せとして来るような気がする。

バブルがはじけるように。。。どこかで何かが「壊れる」ような。

で今「癒し」的な商売も盛んなんでしょうね。


ながーい前振りになりましたが、今回の僕の言いたい事。

「リアル逃げ場商売」

今後はそんな商売が必要なんじゃないかと。
(っていうか、とっくにあるよって方、いるとは思いますが)

いろんな意味での逃げ場はあると思うけど、肝心なのはちゃんと自覚してる必要があるということ。

そしてちゃんと見つけてくれる人がいるという事。

例えるなら会社の帰りの屋台のおでん屋さんみたいな。
飲んだくれてグチってるとこを奥さんが「もういい加減帰ってきなさい」
なんつって。

お母さんに怒られて勢いよく飛び出していって、とりあえず登る公園の便所の屋根。

彼女とケンカして一人、車を走らせていく夜の海だったり。

そんな逃げ場を人は持っとくべきだと思う。

ちゃんとお互いが同じ速さで感じれる「時間」の中での逃げ場。

あ、商売とか言っときながら具体的な案は何もないですが。。。

でもFLAT kitchenはそんなリアル逃げ場でありたい。


同じ空間にいなくても、同じ時間の流れを感じれる仲間を見つける事が大切なのかも。

ネットはそれを見つける手段で止めとく事が理想なのかな。

てな事をネット上のブログで書いてる、オレ。

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by kendaikoubou | 2011-03-08 21:47